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ヨーロッパ紀行2010: Day2

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クラクフ旧市街の朝。ヨーロッパってやっぱり風情がありますよねぇ~!ここクラクフは第二次世界大戦でもほとんど被害を受けておらず、昔の街並みが綺麗に保存されているのです。写真の中央広場以外にもたくさんの美しい建物を見ることが出来ます。建物フェチの僕にはたまらん!

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中央広場の、不気味な銅像。彫刻家イゴール・ミトライ氏の『エロス』という作品なのだそう。中に入ることもできますよ~。

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こういう素朴なデザインもポーランドらしい要素。



さて、ちょっと重い話になります。ポーランドというと、やはり思い浮かべるのは…


アウシュビッツ強制収容所ではないでしょうか。


ポーランドに初めて来た以上、避けては通れないと思うのです。


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入口に書かれた有名なスローガン、「働けば自由になる」。"ARBEIT(労働。日本の「アルバイト」の語源)"の"B"が上下逆になっているのは、この門を作らされた囚人(ユダヤ人、ロマ、同性愛者など)が抵抗の意思を示したものと言われています。なぜなら、ご存じのとおり働いても自由などなく、病に倒れるかガス室に送られるか、彼らの運命は殆どどちらかであったからです。

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ガイドさんが、ここで65年前まで起こっていた悲劇の歴史を説明してくれます。

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この収容所の建物は、一部は人体実験に、一部は銃殺刑に使われていました。イスラエルから来たたくさんの学生も収容所を見学していました。ちなみに、この写真が紫っぽいのは収容所の室内から窓ガラス越しに撮っているからです。収容所の半分くらいの窓ガラスは、紫を帯びた色ガラスになっているのです。

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この絵を見ると、ここに連れてこられた人たちの待遇が分かりますね。

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ビルケナウの第2収容所も見学コースに入っています。

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こちらは、より多くの囚人を収容するため、効率第一で作られています。ベッドが傾いて見えるのは壊れているからではなくて、スペース効率を良くするために敢えてこのようにしてあるとのことです。トイレは別の建物にあるので、自由に行くこともできません。

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ビルケナウ収容所を通り抜ける引き込み線路(ヨーロッパ各地から囚人を運んできた)の終着点の先、もとはガス室があったところには慰霊碑が立てられ、ヨーロッパの各地の言語で慰霊の言葉が記されています。

実際の虐殺の規模がどれくらいであったか…それは戦争のたびにどこかで起こる全ての虐殺と同じく、色々な人の都合で操作されているところもありますから正確なことは言えないのかもしれません。しかしながら、ナチスに限らず人間はこういうことが出来る生き物だということを決して忘れてはいけないと思います。

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色々な要因で、人は時として同じ人間相手に対しても残虐な生き物になります。普通の(つもりの)人だって、畑に雑草が生えるがごとく、磨き上げられた金属が錆びるがごとく、そうなってしまう可能性があることを頭に置いておきたいものです。そして、時には自分の心の中を振り返って、心の手入れをしなくてはいけません。僕はそう思いました。


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午後4時ごろ、クラクフに帰着。中央広場のイタリアンレストランにて、かなり遅い昼食。

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中央広場の織物取引所、1階はアーケードになっています。ポーランド名産の琥珀のアクセサリーほか、いろんなものが売っています。

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この日は炎天下にもかかわらず、朝からず~っと動きっぱなし。ランチも遅めだったので、夕食時になってもお腹がすきません。でも、街のあちこちに出てるドネルケバブのお店を見てたら食べたくなった。ドネルケバブが定着してるのは隣国ドイツの影響なのかね。

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ドネルケバブは日本でもよく売られていますが、ポーランドのは日本のとはケタが違うボリューム!!ピタに挟まってるというより、ピタにどっさり乗っかってるという感じ!!スパイスがしっかり利いてて美味しかった。もう日本に帰ったらドネルケバブ、食べられないかも。

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